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科学としての心理学を学ぶうえでおさえておきたい論証の基礎(慶應義塾大学文学部助教:板口典弘) #その心理学ホント?

心理学は心と行動について科学的な方法で研究する学問です。科学としての心理学を学ぶうえで欠かせないのが,根拠と主張を結びつける論証についての理解です。そこで本特集では,心理学を学ぶにあたって必要な知識として,認知神経心理学がご専門の板口典弘先生に,論証の基礎をご解説いただきます。

心理学は,“こころ”のメカニズムの解明を目指す科学です。科学的な手法を実践する上でとても重要になるのが,“論証”です。簡単に言うと,論証とは主張と根拠を一緒に提示することです。このようなタイプの論証は,学術分野ではもちろん,日常レベルでも毎日行われています。しかしながら,主張とは何か,根拠とは何か,そしてなぜ論証が大事なのか,などを深く掘り下げて考えてみたことがある方は少ないのではないでしょうか。本稿ではそのような論証について,S.トゥールミンのモデルを用いて解説します。

具体的な例に基づいて論証を考えていきましょう。あなたが朝起きて窓の外を見たら雲一つない青空でした。ただし同時に,道路に大きな水たまりも見つけたとします。あなたはこの状況を見て「夜には雨が降っていたのだろう」と推測します。この推測は“主張”と呼ばれます。そして,この主張の理由を問われた場合には「水たまりがあった」“から”と答えるでしょう。この文脈において,「水たまりがあった」ことは“根拠”と呼ばれます。これが論証の簡単な例です。

トゥールミンの論証モデルによると,主張と根拠は厳密に区別されます。すなわち,根拠は客観的な事実である必要があり,主張は事実から導かれ,かつ根拠に含意されない内容である必要があります。「水たまりがある」ことは誰もが確認可能な,疑いようのない事実です。その一方で,「雨が降っていたのだろう」という主張は,「水たまりがある」こととイコールではなく,必ずしも正しいとは限りません。論証あるいは論理的というと,常に正しいことばかりを指すように思われがちですが,このモデルはむしろ,“事実から,そこに含まれていない未知の内容を引き出すこと”が論証の本質だと考えます。心理学に限らず,科学的に厳密な議論においてトゥールミンのモデルを用いる最大のメリットは,①根拠と主張を明確に区別できる点,そしてそうすることによって②根拠と主張の間にある“論理的ギャップ”を意識することが可能になる点です。

主張と根拠の間には論理的なギャップが生じています。この論理的ギャップは“飛躍”と呼ばれています。飛躍は,主張が根拠に含意されないために生じており,本来ならば越えてはならないものです。もし主張が根拠に含意されている場合には,“同語反復”となり,主張を行うことに意味が生じません。一方で,「水たまり」の場合に限らず,科学的なデータをもとに主張を行う場合には,必ず飛躍が存在します。このことは,科学研究においてどんなにたくさんの厳密なデータを集めたとしても,それに基づくどんな推論や一般化も,正しさが保証されないことを意味します(帰納法的な考え方を思い浮かべてみると分かりやすいと思います※1)。しかしながら私たちは多くの論証において,飛躍を感じたとしても主張を受け入れることができますし,飛躍を感じないことすらあります。論理的には“正しくない”はずであるのに,なぜこのようなことが可能なのでしょうか?

それは“論拠”と呼ばれる,根拠と主張をつなぐ性質を持つ命題が隠れて存在しているためです。論拠は,論理的なギャップを越えるためのハシゴのような役割を持ちます。「水たまり」の論証では,「水たまりがあった」という根拠と「雨が降った」という主張を結ぶための何らかの論拠が,書き手である私と読み手であるみなさんの間で共有されていたため,みなさんがこの論証に違和感を持たず,主張を受け入れることができたのです。そのような論拠の例として,「雨が降ると道路に水がたまる」「水が蒸発するには時間がかかる」などが挙げられます※2。当たり前すぎて「なんだそんなことか」と拍子抜けした方も多いかもしれません。しかしながらよく考えてみてください。もしみなさんがこのような論拠を持っていない場合,絶対に「雨が降っていただろう」という主張を受け入れることはできないのです。さらに同様に考えると,ある一つの事実(根拠)に対して異なる論拠を適用すると,異なる主張が導かれることもわかると思います※3。このように,論拠は客観的で中立的な事実から,特定の主張を導く(飛躍する)役割を持っています。

一般的な文章・会話においては“常識”と呼ばれるものが論拠の役割を担います※4。そして常識であるからこそ,論拠は日常会話では言及されません。しかし,書き手と読み手で常識が食い違っていた場合には大きな問題が生じます。すなわち,主張が納得できなかったり,議論が噛み合わなくなったりしてしまうのです。論拠が不明であるということは,飛躍の仕方がわからないということです。さらに,論拠は言及されないことが一般的です。そのため,会話や書かれている文章の中をいくら探しても,議論の齟齬を生み出している原因は見つかりません。自身の主張を納得してもらえない,あるいは,自身と他者との議論がかみ合わないといった際には,多くの場合は根拠や主張の認識ではなく,論拠が明示・共有されていないことが問題であることが多いのです。

心理学に話を戻しましょう。心理学は実験や観察をおこない,得られたデータに基づいて,“こころ”のメカニズムについて何らかの考察を行います。データは根拠,考察は主張です。学術的な場面では,さまざまな常識に加えて,“仮定”(仮に正しいと定めた命題)や,仮定の集合である“理論”が論拠となります。根拠に対して適用する仮定や理論が異なれば,主張も大きく異なります。すなわち,同じデータを共有していても,個々人の持つ論拠に依存して,主張(データの解釈)は異なってしまうのです。このとき,論拠を明らかにせずに議論を始めてしまうと,相手を説得することができないばかりか,水掛け論に陥ってしまうこともあります。学術的な論証には日常会話以上の厳密さが求められます。また,分野の異なる人々(=常識が異なる人々)が議論を読んだりもします。そのため,書き手にとっては“小さな”飛躍でさえも,読み手には受け入れられないケースが生じるのです。

以上のような論証の仕組みを理解することは,科学論文をより批判的に理解することにつながります。クリティカル・シンキング(批判的な思考)という言葉がありますが,これは論拠をベースに主張(論証の正しさ)を吟味する方法です。主張は根拠と論拠を組み合わせて導かれる単なる帰結であって,主張のみを吟味しても仕方ないのです。論拠(仮定や理論)を吟味することは,同じデータから複数の結論にたどり着く可能性を探索することです。このような思考法によって,実験計画の落とし穴,改善案,あるいは新たな仮説に気づいたり,よりバランスの取れた理論を構築できたりする可能性があります。論証および論理的な文章の書き方を学ぶためにお勧めの図書を以下に挙げますので,論証のスキルを磨いて科学としての心理学をより楽しんでいただければ幸いです。

福澤一吉 「議論のレッスン」 NHK出版生活人新書

福澤一吉 「論理表現のレッスン」 NHK出版生活人新書

板口典弘・山本健太郎 「心理学論文の書き方」 講談社

脚注

※1 演繹法の考え方にも当てはめることができますが,今回は説明を割愛します。

※2今回は二つのみしか論拠を例示していませんが,一般的にひとつの主張を導くためにも妥当な論拠は複数存在します。

※3 妥当かどうかは置いておいて,もし「人は道路に水を撒く生き物である」という論拠を適用すれば,「誰かが夜に水を撒いたのだろう」ということが結論可能です。

※4 宗教的な考え方,個人の信念なども根拠と主張を結ぶため,論拠となります。たとえば,「黒い猫が横切った」という事実を根拠として,「何か不吉なことが起きるだろう」という主張を行う場合には,信念や迷信などが論拠となります。

執筆者プロフィール

板口典弘(いたぐち・よしひろ)
2013年,早稲田大学文学研究科にて博士(文学)取得。早稲田大学心理学コース助手,AMED研究員,日本学術振興会特別研究員PD(札幌医科大学保健医療学部・慶應義塾大学理工学部),トロムソ大学訪問研究員,静岡大学情報学部助教を経て,2021年より現職。
ウェブサイト:https://sites.google.com/site/yoshihiroitaguchi/
Twitter:@chrone85

著書

板口典弘・相馬花恵「心理学入門」講談社

板口典弘・森数馬「心理学統計入門」講談社

相馬花恵・板口典弘「発達心理学」講談社


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