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失恋の葛藤にたいして意味はない(東京未来大学モチベーション行動科学部特任講師:仲嶺真) #葛藤するということ

失恋の葛藤に心悩まされた人は多いでしょう。自分は相手がいないと生きていられないくらいの気持ちでいるのに、相手は自分がいなくても生きていけるし、むしろそうなることさえ望んでいる。この事実を受け止められない、しかし受け止めないことには前に進めない。そんな葛藤について、仲嶺先生にお書きいただきました。

 忘れたいのに忘れられない。ダメだとわかっているのに、ついSNSを覗いてしまう。あのとき自分が違う行動をしていれば、今もうまくいっていたかもしれない。失恋に伴って生じる葛藤はさまざまなかたちで私たちを襲ってきます。

 これらの苦悩や葛藤は、失恋の後にありふれて生じる反応です。失恋した人すべてに生じるわけではありませんが、ある程度の人には起こります。SNSを継続的に見てしまう、相手の家の近くまで行ってしまった。現代ではストーキングと呼ばれうるこのような行為も、(良し悪しは別にして)失恋後に生じうる反応の一つです。

 これらの反応は「心の整理」です。日常に生じたちょっとした嫌なことであれば、「ちぇっ」と心の中でつぶやいたり、「こういう嫌なことがあったんだ」と知人に軽く愚痴ったりすることで流してしまえますが、失恋という大きな喪失体験はそう簡単には流せません。物(たとえば、部屋の荷物)の整理の仕方や整理にかかる時間が人それぞれであるように、失恋後の反応や失恋による落ち込み期間も人それぞれです。

 ときに、失恋時に葛藤を経験することで強い自分になれる、その苦しみを乗り越えた先に良い出会いが待っている、失恋後の行動が大事といった、失恋に伴って生じる葛藤や苦しみには何かしらの積極的な意味があるという話を聞きます。しかし、失恋に伴う葛藤にそのような意味はありません。何の意味もないからこそつらいし、意味のないことに意味を見出そうとするからこそ苦しいのだと思います。失恋の悩みや葛藤は「心の整理」。それ以上でも以下でもありません。

 たとえば、ダイの話です。

 ダイは明るくて社交的なミキとお付き合いをしていました。しかし突然「あなたのことが好きかどうかわからなくなった」とミキから言われてしまいます。たしかに、ミキがいることを当然のように思い、関係をおろそかにしていたかもしれない。ダイは、自分の何がいけなかったのかと考え、悪いところは改めるからと復縁を求めます。しかし、それは叶いませんでした。ダイは、次に進まなければと思いつつも、なかなかミキを忘れること、諦めることができない日々が続きました。そんな折、ダイはリカと出会います。リカはおとなしく控えめな子でしたが、ダイの些細な日常的な話を楽しそうに聞いてくれました。そんなリカとの日々でダイの葛藤は和らぎ、ダイは徐々にリカに惹かれていきます。リカもダイに好意を寄せていました。二人はお付き合いを始めました。

 ここまでであれば、あのときのダイの葛藤は、リカと出会い、付き合うための布石であったように思えます。ダイの葛藤の克服にリカが(図らずも)伴走してくれたことが好意のきっかけとなったからです。しかし、この話には続きがあります。ダイとリカの関係は穏やかな温かい関係ではありましたが、長くは続きませんでした。原因は、ダイが明るくて社交的なマキに惹かれたことでした。

 このように、葛藤を乗り越えた先に何か良いことが待っているかどうかはわかりません。そのように思える状況が存在することはありえますが、葛藤自体にたいして意味はありません。それは次の話からもうかがえます。

 ミキは明るくて社交的なダイとお付き合いをしていました。日々楽しく、ダイに対する不満はほとんどありませんでした。ただ、強いて言えば、友だちの延長上のような関係が若干不満でした。そんな折、ミキはトモと出会います。トモは寡黙で自分の時間を大切にするタイプ。でも、仕事帰り、ミキとおしゃべりするために少し遠回りをしてくれることが増えました。その「友だちとは異なる関係」が嬉しく、その時間を楽しみにしていることに気づいたミキは、自分の気持ちに悩みます。ダイのことは好き、でも、本当に好きならトモに惹かれないはず。ミキは気持ちを整理しようと思い、「あなたのことが好きかどうかわからなくなった」とダイに伝えます。しばらくはひとりで気持ちの整理をするつもりだったミキですが、別れたことをトモに告げると、トモから告白されます。ミキはしばらく悩みました。ですが、トモからの好意は素直に嬉しかったので、それを決め手に、トモとお付き合いすることにしました。

 この話からわかるのは、ダイの葛藤「自分の悪かったところを改善することでまだ復縁の可能性があるのではないか」にはたいして意味はなかったことです。なぜなら、ダイに悪かったところはほとんどなく、ミキの気持ちの変化が別れの主因だったからです。ちなみに、ミキは現在、トモとの関係を解消しています。そして、いまから振り返ると、ダイとの関係が最も居心地が良かったと時折思っています。

 このように、葛藤を乗り越え何かをつかんだように思えても、実は何かを失っており、それが新しい葛藤になっていることもあります。

 失恋の際に葛藤を経験しても強くなれない、失恋の苦しみを乗り越えても良い出会いがない。そのようなことを言いたいわけではありません。強くなれることも、良い出会いがあることも、ありうることだと思います。一方で、ダイやミキのように、葛藤の先に葛藤に意味があった未来がないこともあります。そのように考えると、いまの葛藤の意味は未来で初めてわかります。未来(すなわち未来から見て現在)が現在(すなわち未来から見て過去)とつながるとき、これまでの意味が生成変化します。たとえば、あのときの苦しみはいまの幸せのためだったんだ、のように。いまの葛藤に意味があるかどうかは、未来との関係でしか決まらないわけです。

 このように、未来との関係で現在の意味が決まると考えると、失恋に伴う葛藤とは、意味の生成変化を受け止めきれないことの現れであると考えられます。私たちの関係は運命だと思っていたのにそうではなかった。あの日々には何の意味もなかった。あのときのケンカも、あのときの仲直りも、あのときの涙も、あのときの恋心でさえも。そういった物語の変化と終結を受け入れらないというのが失恋に伴う葛藤なのだと思います。

 ところで、等至性という考え方があります。たとえば、自宅から職場まで行く方法は、徒歩、バス、電車、自家用車、自転車、いろいろな手段がありえますし、その経路(どの道を使って行くか)もいろいろですが、最終的には職場に着きます。同様に、私たちの人生径路は多様でありえますが、どの径路であっても同様の結果に到達する、そのような考え方が等至性です。この観点から考えたとき、あなたの恋愛はどのような径路をとっても失恋に至り、葛藤が生じていたのかもしれません。「あのときああしていれば」という後悔は、「あのときああしていても」同じ結果になったのかもしれません。

 しかし、等至性を考えるときに重要なのは、その径路自体がさまざまな偶然によって形作られているということです。たとえば、自宅から職場まで自転車で行くとき、気づかないうちに周りの建物の位置がすべて逆に配置されていたと想定してみてください。職場にたどりつけるでしょうか。おそらく曲がり角を間違えてしまい、職場にたどりつけないと思います。私たちが職場にたどりつけるのは、偶然、昨日と今日で周囲が同じ景色だからです。あるいは、自宅から職場まで自動車で行くとき、気づかないうちにアクセルとブレーキの機能が逆になっていたと想定してみてください。おそらく大事故です。私たちが無事に職場に到着できるのは、偶然、機能の不具合が起きていないからです。すなわち、ある手段、ある経路で、目的地に到着できるということは偶然の賜物なのです。

 人生径路も同じです。「あのときああした」のは、いろいろな偶然が重なった結果です。あなたの失恋、そして、それに伴う葛藤は必然的な結果ですが、その必然的な結果に至ったのは偶然です。さまざまな偶然が積み重なり、「あのときああした」のですし、さまざまな偶然が積み重なり、失恋に至っています。偶然とは、さまざまな可能性の中でその1つが選ばれたことであり、必然とはそれしかなかったことです。そう考えると、失恋に伴う葛藤とは、偶然の覚知、すなわち、別の世界の存在可能性に対する慄き(おののき)なのだろうと思います。この世界とは違った世界がありえたかもしれない、私の世界とは違う世界をあなたが生きている。そういった別の世界がありうることをまだ受け止めきれないのが失恋に伴う葛藤なのだと思います。でも、「別の世界がある」という気づきは、「別の世界を作れる」という気づきの第一歩でもあります。

 恋愛とは二人(以上)で遊ぶジェンガのようなものです。一人で遊んでもつまらないですが、二人(以上)で遊ぶと自分が思った通りのゲームの進み方にはなりません。自分の意図に相手が気づいてくれないことが標準ですが、うまく意思疎通ができたように思えるときは少しだけ嬉しくなったりします。ですが、ちょっとした想定違いで、後々の積み上げ方に齟齬が生じ始めたり、バランスを崩したりします。何とか持ち直すこともありますが、崩壊してしまうこともあります。崩壊した後、自分がもう1回遊びたいと思っても、相手はそう思っていないかもしれません。むしろ、別のところで新しい人(たち)とジェンガを始めているかもしれません。そうなったときに私たちにできることは、あなたとまたジェンガで遊びたいと相手に思ってもらえるように何らかの努力をするか、あるいは、別の誰かと遊ぼうと思えるまで、もしくは、そろそろ片付けようと思えるまでジェンガを部屋に散らかしておくか、なのかもしれません。

※    本論で出てくるエピソードはいくつかの実話を元に構成されており、元のエピソードのままではありません。また、登場人物はすべて仮名です。

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【著者プロフィール】

仲嶺真(なかみね・しん) 
Twitter:@nihsenimakan HP:Socio-Psycho-Logy
東京未来大学モチベーション行動科学部特任講師。モチベーション研究所研究員。専門は恋愛論、心理学論。
荒川出版会という任意団体を設立し、「心理学を考えること、心理学を通じて考えること」を実践。「こうしなければならない」という「正解」を押しつけるのではなく、「こうした方が面白いかも」という「正解(仮)」を作ることを心がけて活動している。
URL:https://arakawa-press.hp.peraichi.com

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