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【第5回】子どもの話を傾聴すること(半田一郎:子育てカウンセリング・リソースポート代表)連載:子どものSOSの聴き方・受け止め方

 前回までに、子どもの深刻なSOSをどのように受け止めたら良いかについて書いてきました。例えば、「死にたい」という訴えがあったときに、まずは、話してくれた事に感謝を伝えることが重要であることを説明しました。こんなふうに、SOSを受け止めるためには、具体的な工夫がいろいろとあります。一方で、今まで紹介してきた関わり方の背景には、子どもの話を傾聴する姿勢があります。傾聴する姿勢があるからこそ、具体的な工夫が意味を持つのです。そこで、今回から数回をかけて、傾聴について書いていきたいと思います。

傾聴への負担感

 ところで、傾聴という言葉を聞いて、うんざりした気持ちが湧いてきた人も多いかもしれません。

 傾聴することが大切だということは、様々な場面で語られてきました。そのため、傾聴が大切ということは、もう既にほとんどの人が知っていることです。しかも、「よく聴かなければならない」などと、まるで命令のようになって、多くの人に伝わっているように感じます。また同様に、「自分が話したくても話してはならない」などと、禁止のような考えが広まっているとも感じます。こんなふうに、傾聴とは、「自分が話したくても話さないで、相手の話をよく聴かなければならない」というものになっているように思います。こういったことがあるため、傾聴することの大切さは知っていても、うんざりした気持ちを感じることが多いのではないかと思います。

 しかし、人の話を傾聴することは、聞く側にとっても肯定的な体験となると思っています。また、傾聴することは特別なことではなく、どんな人にもできることだと思います。そして、傾聴することは、禁止や命令によってできるのではなく、意外と自然な方法でできるようになると私は考えています。

半田先生 5回 傾聴

傾聴とは

 まず、傾聴とは何かについて、一通り解説したいと思います。傾聴は、カウンセリングの基本として極めて重視されていますが、それだけではなく、人間関係を上手く保っていくためにも、重要だと言われています。

 一般的に傾聴は、「真剣に聞くこと」「耳を傾けて熱心に聞くこと」という意味で捉えられます。そして、高い水準で傾聴できるためには、受容(無条件の積極的関心)、共感的理解、一致の3つの姿勢を持つことが必要であると言われています(諸富、2010 )。

傾聴の3つの姿勢

 まず、諸富(2010)をもとに、3つの姿勢について説明します。まず、受容(無条件の積極的関心)です。諸富(2010)によれば、「カウンセラーがクライアントを無条件に、つまり『あなたが~の場合だけ認めます』といった条件を持たずに、『ああ・・・・こんな気持ちがおありなんですね・・・・』と、『ただそのまま受け止めていく』こと」とまとめられています。相手を批判したり、価値判断したりせず、肯定的に関心を持つという姿勢です。つまり、相手をそのまま受け入れていくという姿勢なのです。

 次に、共感的理解について説明します。諸富(2010)によれば、「クライアントの私的な世界を、その微妙なニュアンスに至るまで、あたかもその人自身になったかのような姿勢で、『あなたが今、感じていることは、○○ということでしょうか』と、正確かつていねいに、伝え返し、確かめていくことです。」と述べられています。相手の世界を相手の中から感じ取ろうと努めて、感じ取ったことを伝え返して、確かめていくような姿勢なのです。

 最後に一致について説明します。諸富(2010)によれば、「カウンセラーが、クライアントの話に虚心に耳を傾けながらも、同時に、自分自身の内面にも深く、かつ、ていねいにふれながら、クライアントとともに進んでいく姿勢」とまとめられています。自分自身の心の動きも深く感じ取り、それと言葉や態度を一致させていく姿勢なのだと思います。

 こういった姿勢は、話を聴いているプロセスの中で生じているものです。そのため、その場にいる人には感じ取ることができるかもしれませんが、言葉で解説しても十分に表現できるものではありません。詳しく深く説明しようとすればするほど、かえって分かりにくくなってしまう面もあると思われます。そのため、今回の説明を読んでもよく分からないと感じる人が多いと思います。今は、深く分からないままでも問題ありません。ひとまず置いておき、先へ進んでいただきたいと思います。

半田先生 5回 話を聞く

傾聴は、人と一緒に映画を見ることと同じ

 ここで、傾聴について感覚的に捉えてもらえるように1つのたとえ話を紹介いたします。そのたとえ話とは、誰かと一緒に映画館に行って映画を見るように話を聞くことが傾聴することなのです。

 このイメージを持って傾聴してもらうと、今までよりずっと楽に、今までよりもずっと的確な姿勢で相手の話を傾聴することができようになると私は思っています。

 さらに具体的にイメージしてもらうために、以下のようなことを想像してみてください。

 ある人と一緒に映画館の座席に並んで座っています。そして、スクリーンの方を向いて一緒に映画を見ています。

 でも、その映画は少し特別な映画なのです。あなたの横に座って一緒に映画を見ている人が主人公として登場する映画なのです。しかも、隣に座っているその人が話し手となって話す分だけ、映画のストーリーが進んで行くのです。

 つまり、聞き手であるあなたは話し手と一緒に並んで座り、話し手が登場するストーリーを話し手と一緒に眺めながら話し手の語る話を傾聴しているのです。

 このたとえ話は、傾聴の本質を端的に表していると私は考えています。映画を相手の人と一緒に見ているイメージを持って、相手の話を聞くことができたら、自然と傾聴ができるようになると思います。

映画を一緒に見ることと傾聴の共通点

 このたとえ話について、具体的に解説していきます。例えば、映画では観客が勝手に映画のストーリーを進めていくことはできません。映画のストーリーは、自然に進んでいき、観客はその進行についていくことが大切なのです。傾聴でも同じです。聞き手が話し手の語るストーリーを勝手に進めていくことはできません。話し手が語り、聞き手はそれについていくのです。つまり、映画でも傾聴でも、観客(聞いている側)は、ストーリーが進んでいくことに、ついていくという姿勢で臨んでいるのです。

 また、映画では観客がストーリーを変えてしまうことはできません。色々と気になることがあったとしても、ストーリーをそのまま受け入れることが映画を楽しむためには必要です。傾聴も同じです。話し手のストーリーを聞き手が変えてしまうことはできません。人には人それぞれの歴史や進んでいこうとする道筋があります。それは、良い悪い、正しい正しくない、好き嫌いとは関係なく、話し手の一人ひとりの人としての生き方なのです。聞き手がそれを評価・判断して変えてしまうことは基本的にできないのです。つまり、映画でも傾聴でも、観客(聞いている側)は、ストーリーを批判したり、変えたりしようとせず受け止める姿勢で臨んでいるのです。

 また、小さな事かもしれませんが、映画を見る時には、おしゃべりはマナー違反です。映画を見て心を動かされると、その気持ちを話したくなるものです。でも、その場でおしゃべりをすると、映画のストーリーが分からなくなってしまいます。また、映画の臨場感を台無しにして、ストーリーを深く感じ取ることの邪魔になります。傾聴も同じです。話の内容とどんなに関係のある話であっても、途中で聞き手が話してしまうことは、ストーリーが分からなくなってしまう可能性があり、そして深く感じ取ることを妨げてしまいます。つまり、映画でも傾聴でも、観客(聞いている側)は、自分が話したくなっても、自分は話さないで、ストーリーについていき、受け止める姿勢で臨んでいるのです。

半田先生 5回 映画

映画を見ることと傾聴の3つの姿勢

 ここで、映画を一緒に見ることと傾聴の3つの姿勢を比較してみたいと思います。まず、映画のストーリーは変えることができません。観客は、ストーリーをそのまま受け入れながら映画を鑑賞するのです。映画を「ここはおかしい」、「ここは間違っている」、「これは変だ」などと批判的な姿勢で見てしまうと、せっかくの映画を楽しんだり味わったりすることが難しくなります。このことは、傾聴の1つめの姿勢である受容(無条件の肯定的関心)と共通しています。批判したり、善し悪しを判断せずにそのまま受け入れるからこそ、その世界やストーリーを感じ取ることができるのです。

 また、映画を見ていると知らず知らずのうちに映画の主人公の気持ちが自然と感じられるような経験をすることが多いと思います。主人公の姿は映像に現れています。また、気持ちや考えは、セリフやナレーションとして観客に伝わってきます。それらを通して、観客は一喜一憂しながら、主人公に自然に共感して主人公の気持ちをリアルに体験することになります。こういった気持ちの動きは、主人公のものでありながら、観客一人ひとりのものでもあります。そう考えると、映画を見る中で生じてくる気持ちの動きは、傾聴の姿勢の1つ共感的理解と共通していると考えられます。

 反面、映画を見ているときには、映画の主人公はどこまでいっても映画の主人公だと感じられます。自分自身の気持ちや考え方が失われてしまうわけではありません。映画の世界を味わいながらも、自分自身の感じていることもていねいに感じ取ることができたら、深い体験へとつながります。これは、傾聴の時に大切にされている「一致」という姿勢と共通すると考えられます。

傾聴は聞く側にも肯定的な体験となる

 ところで、カウンセラーではない人から、「辛い話を聞いていると自分が辛くならないですか?」などと質問されることがあります。確かに、辛い話を傾聴すると、聞く側も辛い気持ちでいっぱいになってしまうことがあります。辛い気持ちになる可能性があるとしたら、傾聴が大切だと知っていても、人の話を傾聴しようとは思わないかもしれません。しかし、人の話を傾聴することは、聞く側にも肯定的な体験となる可能性があります。このことも、映画のたとえ話を通して説明することができます。

 映画には様々な種類の映画があります。ハッピーエンドになる映画ばかりではありません。主人公に不幸な結末が訪れる映画もたくさんあります。しかし、そういう映画であっても、時間をかけてわざわざ料金まで支払って、多くの人がその映画を見に行きます。

 つまり映画の場合、ハッピーエンドではないから見る価値のない映画だということはありません。辛い話の映画でも、主人公のストーリーから、人間のすばらしさや人生の豊さを感じ取ることができるものです。だからこそ、多くの人が映画を見に行くのだと思います。

 実は、傾聴でも同じです。どんなに辛い話であっても、話し手は努力したり工夫したりして辛い状況を切り抜けて、今ここで話をしているのです。そして、これからも辛い状況を切り抜けようとしているのです。そのストーリーを聞かせてもらうなかで、聞き手は、人間のすばらしさや人生の豊かさを改めて感じることも多いものです。だからこそ、人の辛い話を傾聴することは、必ずしも辛いことではないのです。むしろ、充実した体験となりうるのです。

半田先生 5回 最後

まとめ

 今回は、「傾聴することは、人と一緒に映画を見るようなものだ」というたとえ話を通して、傾聴することについて考えてみました。どんな人でも一度は映画を見たことがあると思います。こんなふうに、一緒に映画を見ているような姿勢で話を聞くことができたら、自然と傾聴できるようになるのではないかと思います。

文献
諸富祥彦 2010 はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ―  誠信書房

執筆者プロフィール

半田先生 ご本人お写真

半田一郎(はんだ・いちろう)
スクールカウンセラー・子育てカウンセリング・リソースポート代表。
公認心理師・臨床心理士・学校心理士スーパーバイザー。

好評を博した本連載を大幅に加筆・修正した書籍を刊行致しました。
半田一郎・著『子どものSOSの聴き方・受け止め方』四六判・212頁・2,310円(税込)

よろしくお願い致します。

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