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偏見研究のその先―差別と向き合う心理学へ(三重大学教育学部准教授:栗田季佳) #誘惑する心理学

心理学はこれまで、主に差別の背後にある偏見をターゲットに研究することで、差別の解消を目指してきました。しかし、そうした研究は差別の解消に十分に寄与できたのでしょうか。今日の偏見研究が抱える課題と、これからの心理学が目指すことができる方向性について、障害児者への偏見について研究されてきた栗田季佳先生にご執筆いただきました。

差別(種々のイズム e.g., レイシズム、セクシズム、エイブリズム)をテーマとする心理学において、必ずといってよいほど引用されるのはAllport(1954)の「偏見の心理(原題: The nature of prejudice)」である。この慣習が象徴するように、心理学では差別を集団に対する偏見(ステレオタイプ、イメージ、不安、恐怖等)[1]の問題として捉える。これまで心理学は偏見の様々な形態(例:敵意的な態度だけでなく慈悲的な態度)を明らかにし、偏見に影響を与える心理(社会的アイデンティティや接触経験など)を特定してきた。偏見のメカニズムを理解し、それに基づいて介入することが差別の解消に貢献する――というのが心理学のスタンスである。

偏見の測定とアンコンシャスバイアスの流行

このテーマの焦点となる偏見の指標は心理学において必需品となり、心理学者は個人のそれを反映させるべく、いくつもの方法を編み出してきた。伝統的にはアンケートが主流であるが(といっても無数の尺度が存在する)、最近では潜在指標という意識的にコントロールできない(しにくい)反応を用いる手法が盛んである。中でも、Implicit Association Test(以下、IAT)は知名度が高く、数多くの研究で用いられている。

IATはパソコン上で分類課題をしてもらうのだが、集団とイメージの結びつきの強さを測ろうとする。例えば男女の性役割分業を取り上げる場合、男性―女性(集団)と仕事―家事(イメージ)の分類課題に取り組んでもらうことによって、「男性―仕事、女性―家事」と「男性―家事、女性―仕事」どちらの結びつきが強いかを調べるのである[2](図参照)。このような間接的に測定される意識化しにくい態度はアンコンシャスバイアス[3]と呼ばれ、書籍や報道にも出回っており、研修で取り上げられるなど、心理学業界を飛び越えて、一般社会、特にビジネス界隈で話題となっている。

スクリーン、パソコンのキーボード、人差し指を突き出した手のセットが2つ、左右に提示されている。左の<偏見ブロック>では、スクリーン左上に「男性(改行)または(改行)仕事」、スクリーン右上に「女性(改行)または(改行)家事」と表示されている。スクリーン中央には、トイレで見るような女性のアイコンが表示されている。人差し指を突き出した手がキーボードにおかれており、その横に「右!」と書かれた吹き出しが添えてある。画像右の<非偏見ブロック>では、スクリーン左上に「男性(改行)または(改行)家事」、スクリーン右上に「女性(改行)または(改行)仕事」と表示されている。スクリーン中央には、「料理」という文字が表示されている。人差し指を突き出した手がキーボードにおかれており、その横に「左!」と書かれた吹き出しが添えてある。
図.IATの画面(参加者は画面中央に出てくる刺激を、上部に示されたカテゴリー左右どちらかに分類する。IATには異なる組み合わせを示したブロックがあり、両ブロックに対する反応の違いを態度とみる)

一見すると、アンコンシャスバイアスとビジネスは関連がなさそうに思える。しかし、近年の差別規制、ダイバーシティ&インクルージョンという社会的要請、消費者層のダイバーシティへの注目、人口減や国外流出で有能な人材を確保したい会社のミッションなどがアンコンシャスバイアスの流行を支えている。よく聞かれるのは、有能な人材を表面的な偏見で登用しないのは企業にとっても損失であるという論調であり、コンサルティング会社アクセンチュアの報告によれば、実際に障害者雇用に積極的な企業の方が利益を上げているという[4]。アンコンシャスバイアスの知見に対する需要が供給を生み、研修はGoogleなど多くの企業で導入され、学校でも実施されている。

しかし、IATと行動との関連は必ずしも明確ではなく、ほとんど行動を予測しないという報告[5]や、測定されたバイアスが低減しても現実の差別に対する認識は変わらないという報告もある[6]。またアンコンシャスバイアスとして測定されたものが何を反映しているのかも議論がある。ある人が「ジェンダーバイアスが強い」というテストの結果を受け取ったとして、それはその人自身のジェンダーバイアスの強さかもしれないが、社会のジェンダーバイアスの強さに対するその人の認識なのかもしれない。どちらが出現しているのかは特定できないし、個人個人によっても違う可能性もあり、そもそも両者を分離できるのかもわからない。アンコンシャスバイアスはそう単純ではないのである。

このような課題はIATだけでなく、他の潜在指標、さらにはアンケートのような顕在指標も同様に抱えている。それでは、今後心理学が取り組むべきは、行動をより予測する指標を発展させることや、効果的な偏見低減方法を探ること・・・だろうか?

偏見に着目する心理学研究が抱える課題

いや、それ以前に、そもそも差別に対する心理学のアプローチに問題はないだろうか。主流の心理学は、基本的に、心と行動を分離する。心は個人の内側に想定され、行動の背後で動くプロセスである。研究者は調査や実験などの科学的な方法によって、この見えない心を可視化させようとする。これに倣い、差別に関心をもつ心理学研究も、差別そのものではなく、差別(行動)の要因である偏見(心理)[7]を研究し、研究結果に基づいた偏見の理解を社会に提言する。

このことはいくつかの根本的な問題をもたらす。「今、ここ」にないプロセスに注目することは、心理学研究が現実から乖離していく余地を広げる。心理学研究が現実の差別を直接扱うことはほとんどなく(せいぜい研究の意義を説明する時に取り挙げる程度)、実験や調査で行動を測定することも少ない[8]。大学生が障害者に対して抽象的なネガティブ・イメージをもっていることを報告する論文と、高い柵で囲われた鍵付きのベッドや、内側から開けられない殺風景な部屋に閉鎖される障害者の現実の間に、果てしない隔たりを感じるのは筆者だけではないだろう[9]

次の問題は、心理学が、心を通して個人にフォーカスを当てる点にある。発言や行為など、差別は個人が個人に向けるものにとどまらない。同性同士の結婚は現在日本では認められていないし、障害のある子どもが地域の学校(とりわけ普通学級)に在籍することは保障されておらず[10]、保護者の付き添い等条件が付けられることもある。男女間の雇用格差や外国人労働者の職業地位の低さは、個人個人の集団へのイメージが改善すれば解決するだろうか? 差別は確かに個人間でも生じるが、制度や社会構造上にも存在し、そのような社会に生きる個人が判断したり行為したりするのである。心理学の偏見理論は行きつくところ個人批判であり、社会変革への視点を置き去りにしてしまう[11]

心理学者は現象の外側に立ち、客観的な態度でそれをみようとする。偏見研究は社会的意義に答えやすいが、その際、有用な心理学知を専門家から市民へ授けるという一方向的な啓発となりがちである。ここにみられるのは、差別に対して何もしない受動的な市民像であり、上から目線の専門家モデルである。心理学者自身も社会的営為の実践者であるという視点に立つとき、偏見・差別が研修ビジネスのような心理学産業に加わり、経済の論理で差別が捉えられていく危うさ[12]や、知能検査による人種や障害の劣位化や同性愛の精神病理化など、心理学自体が生み出してきた偏見や差別が浮かび上がってくる。

エビデンスベースドの偏見研究を越えて

これらのことは、裏返せば心理学が為すべき事柄を表している。90年代に大ヒットしたドラマ「踊る大捜査線」の主人公が「事件は会議室で起きているのではない、現場で起きているのだ」という名台詞を残したが、差別も同じことが言えるであろう。差別は研究室で起きているのではない、現場で起きているのだ!

偏見は実験や調査で初めて明らかになるのでなく、現実の会話の中で指摘される。心理学が定義するほど差別は単純ではなく、ある人はそれを差別だといい、別の人にとってはそうでない等、差別は客観的事実ではなく人々が解釈する主観的な現象である。

心理学における差別の問題は、今や科学実証主義に基づく偏見理論からより広いアプローチへと移行しつつある。例えばJ. コーネルとS. ケッシは、南アフリカの白人専用であったケープタウン大学において、黒人やジェンダー・マイノリティの学生たちと共にフォトヴォイス(Photo Voice)プロジェクトを実行した[13]。ここでは学生が主体となり、学内における疎外感を写真として表現し、ストーリーを加えるのである。黒人と白人が写ったキャンパス風景とは裏腹な、堂々と母語で話せない、白人の英語アクセントでないことを嘲笑される黒人学生の体験。長い髪にばっちりと化粧をした写真とともに「Mr.」が刻まれた学生証によって沈黙させられるトランスジェンダーの学生の感情。学生たちが作成したフォトストーリーは学内展示やメディアを通して、多くの人に学生たちの生の体験に触れる機会を提供した。

研究者によっては、これは研究といえるのか、心理学ではないと否定的な反応を示すかもしれない。確かに、従来の主流の心理学研究の枠内で理解すれば、そのように評価されるだろう。しかし重要なのは、既存の研究の枠組みに現実を当てはめることではなく、現実に起きている差別に資する研究をすることではないだろうか。現実の差別に対して貢献できない、それどころか研究自体が偏見や抑圧をもたらしているとすれば、その根本を変えていく必要がある。

先に紹介した研究を行ったのは、批判心理学に学んだ心理学者であった(批判心理学についてはこちらのnoteを参照)。従来、心理学において差別は社会心理学を中心とする一テーマであった。しかし、心理学そのものが差別を担っているという側面に着目するならば、より広い視野が必要であり、それを見つめる批判心理学が必要である。心理学は、もっと実際の差別問題に貢献できる――そのあり方を問い、変えていけるならば。そのためには、差別の現実に目を向け、学び、まず自分自身の営みに向き合い、点検する必要がある――筆者自身も含めて。

  1.  社会心理学では態度を認知、感情、行動の成分に分類し、偏見(prejudice)を感情成分として位置付ける理論があるが、よりジェネラルな議論に焦点をあてたいがため、後に述べるように行動成分を省いた、心の成分として偏見(bias)を捉えることとする。

  2. 次のサイトで実際のIATのデモンストレーションを受けることができる。https://implicit.harvard.edu/implicit/japan/

  3. 他にも潜在的態度、潜在的偏見など様々な言い方がある。

  4. https://www.weforum.org/agenda/2019/04/what-companies-gain-including-persons-disabilities-inclusion/

  5. Oswald, F. L., Mitchell, G., Blanton, H., Jaccard, J., & Tetlock, P. E. (2013). Predicting ethnic and racial discrimination: A meta-analysis of IAT criterion studies. Journal of Personality and Social Psychology, 105(2), 171–192. https://doi.org/10.1037/a0032734.
    最近のメタ分析で論調の異なる報告にKurdi, B., Seitchik, A. E., Axt, J. R., Carroll, T. J., Karapetyan, A., Kaushik, N., Tomezsko, D., Greenwald, A. G., & Banaji, M. R. (2019). Relationship between the Implicit Association Test and intergroup behavior: A meta-analysis. American Psychologist, 74(5), 569–586. https://doi.org/10.1037/amp0000364がある。
    本稿は長年IATを用いて研究してきたGreenwaldやBanajiが著者に入っており、Banajiの講演に基づくものである。

  6. 例えば、Lai, C. K., Skinner, A. L., Cooley, E., Murrar, S., Brauer, M., Devos, T., Calanchini, J., Xiao, Y. J., Pedram, C., Marshburn, C. K., Simon, S., Blanchar, J. C., Joy-Gaba, J. A., Conway, J., Redford, L., Klein, R. A., Roussos, G., Schellhaas, F. M. H., Burns, M., . . . Nosek, B. A. (2016). Reducing implicit racial preferences: II. Intervention effectiveness across time. Journal of Experimental Psychology: General, 145(8), 1001–1016.

  7. 厳密にいえば、偏見が心理というのも、差別の要因であるというのも、そのように研究者が定義してきた、ということである。

  8. もちろん、アンケートや実験の回答も本来は「行動」である。

  9. 筆者も障害者に対する態度研究に初期のころずいぶん取り組んだが、差別の現実を知るにつけ、自らが取り組む研究を問い直さざるをえなくなった。このあたりのことは「障害理解のリフレクション」(2022年、ちとせプレス出版)にエピソードとしてまとめた。なお、これらの対応には複雑な構造的問題があり、単に現象のみを批判しても意味は薄いが、現状を伝えたいがために筆者の知る一片を紹介した。

  10. https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shugaku/detail/1422234.htm

  11. 次の文献が非常に参考になる。佐藤裕 (2018). 新版 差別論――偏見理論批判. 明石書店

  12. つまり、損得や合理性の観点から偏見や差別の問題を捉える、ということである。私たち(特にマジョリティ側)は、自分にメリットがあるから差別解消に取り組むのだろうか? メリットがなければ偏見や差別は放置してよいのだろうか?

  13. Cornell, J. & Kessi, S. (2020). Discrimination ㏌ Education. In C. Tileagă, M. Augoustinos, & K. Durrheim (Eds.), The Routledge International Handbook of Discrimination, Prejudice and Stereotyping. Routledge: London & New York.

執筆者プロフィール

栗田季佳(くりた・ときか)
京都大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。編著に『障害理解のリフレクション』(ちとせプレス),論文に「排除しないインクルーシブ教育に向けた教育心理学の課題:障害観と研究者の立場性に着目して」『教育心理学年報』59, 92-106, 2020. など。

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