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デチェン・ラモの言葉(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #心機一転こころの整理

 旅という限られた時間の中で遭遇する出来事には、次々と具体的な対応を求められることが多いと思います。そんなとき、移り変わる事態の中で、どのように気持ちの整理はついていくのでしょうか。また、どうしても整理できない気持ちに陥ったときには、どんなことが、旅する人の心を支えてくれるのでしょうか。山本先生にお書きいただきました。

 異国を旅していると、大小さまざまなトラブルに、よく出くわす。

 目的地に向かう列車と逆方向に行く列車に乗ってしまい、しかもそれに何時間も気づかなかったり。はらぺこで辿り着いた街でレストランを探したら、イスラーム教のラマダーン(断食月)で店が全部閉まっていたり。自転車でうっかり迷い込んだ路地で、そこを巣窟にしていた野良犬の群れに追いかけられて、全速力で逃げたり。

 おそらく僕は、普通の人よりもいくぶん長い時間を異国での旅に費やしているはずなのだが、経験を積むことでトラブルを回避できるようになっているとは、あまり思えない。いまだにしょっちゅうヘマをして、おろおろと右往左往してばかりいる。言葉も文化も全然違う国を旅しているのだから、勘違いや行き違いも、ある程度は仕方ない、と腹を括るしかないのかもしれない。

 土地によっては、外国人の旅行者をつけ狙う詐欺師や泥棒も大勢いる。中には手口が非常に巧妙な輩もいるので、彼らの罠を完璧に回避するのは、なかなか難しい。僕自身、ちょっとした金額をぼったくられたりした経験は星の数ほどあるし、盗難被害に遭ったことも、二度ほどある。

 アジア横断の旅の途中、ネパールのポカラという街の安宿で、眠りこけている間に部屋を窃盗団に荒らされ、朝起きたら一文なしになっていた時には、さすがに一瞬、頭がまっしろになった。部屋に侵入されていたのに何で目を覚まさなかったのか、と自分のまぬけさを呪いもしたが、眠りこけていたのは不幸中の幸いだった、とあとで知った。同じ日の夜に窃盗団に襲われた別の中級ホテルでは、守衛の男性が泥棒たちに袋叩きにされて、大怪我を負っていたからだ。

 盗まれたお金のほとんどが、当時はまだ各国で利用可能だったトラベラーズチェックだったのも幸いした。警察に被害届を出した後、最終的には、銀行ですべてのトラベラーズチェックを再発行してもらうことができた。旅の態勢を完全に立て直すまでには、恐ろしく面倒な手続きの数々をクリアしなければならなかったが、あの時の僕は、落ち込むどころか、むしろ燃えていた。こんな盗難騒ぎくらいで、へこたれてたまるか。泥棒なんぞに、俺の旅を奪われてたまるか。何が何でも、旅を続けるんだ、と。

 僕は元来、それほどメンタルが強い方ではないと思うのだが、旅先で何かのトラブルに出くわすと、割とすぐにすっぱり開き直って、しゃにむに次へと突き進もうとするようなところがある。トラブルが日常茶飯事の旅の日々に長く身を浸しているうちに、いつのまにか、そういう性分になってしまったのかもしれない。

 それでも、どうにも気持の整理ができなくなって、途方に暮れてしまったこともある。

 ある年の夏、父が急逝した。母と二人でツアーに参加して、イタリアを旅行している途中、ホテルの部屋で脳内出血を起こして倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 その時、僕は取材の仕事で、インド北部のラダック地方のレーという街に滞在していた。イタリアで一人取り残されている母を迎えに行くため、僕はその後の取材予定をすべてキャンセルし、街のサイバーカフェに籠って、国際電話やメールで関係各所と連絡を取り、インドからイタリア、そして日本へと戻る飛行機の手配を、丸一日がかりでどうにか整えた。

 夜遅くに、レーの街の定宿に戻った。宿の居間兼台所で出してもらった夕食は、味もろくにわからなくて、ほとんどのどを通らなかった。何もかもが、あまりにも急だった。これから待ち受けている、たくさんのこと。イタリアに着いてから、どんな気持で母に会えばいいのか。どんな気持で、父の亡骸と向き合えばいいのか。まるでわからなかった。

「……タカ。ちょっとお聞き」

 宿のおかみさんのデチェン・ラモが、座り込んだままうなだれていた僕に向かって言った。

「タカ。あんたは今、勇気を持たなきゃいけない。あんたのアマレ(お母さん)とノモレ(妹さん)を支えられるのは、あんたしかいない。だから、勇気を出しなさい。その勇気で、あんたの家族を助けてあげるんだよ」

 デチェン・ラモのその言葉は、思いがけないほど大きな力を、僕に与えてくれたように思う。なぐさめでも、いたわりでもなく、今の僕にできること、なすべきことの道筋を、シンプルに教えてくれた。僕一人では、いつまでも見出せなかったかもしれない道筋を。

 それで、本当の意味での気持の整理ができたわけではなかったのかもしれない。でも僕は、それからの数週間、デチェンのくれた言葉を胸の裡でくりかえしながら、気持を半ば無理やりに奮い立たせて、目の前の困難と苦痛を、どうにか乗り越えようとした。あの時の僕には、そうしかできなかったのだと、今は思う。

 どんな種類の困難に直面しても、一人でひらりひらりとかわして切り抜けられるなら、それに越したことはないのかもしれない。でも人生には、一人ではどうにも手に負えない困難も、確かに存在する。そんな時、そばにいる誰かのひとことが、進むべき道を照らしてくれることがある、と僕は知った。僕も、身近で困難に直面する人がいたら、そういう言葉をそっとかけられるように……なれるものならなりたい、と思う。

【著者プロフィール】

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)『ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット[増補改訂版]』(地球の歩き方)『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』『旅は旨くて、時々苦い』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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