連載「わだかまり」と「とらわれ」――過去を振り払う(精神科医:春日武彦) 第1回「罪悪感のこと」
心のわだかまり
わたしたちは心の中にさまざまな「わだかまり」を抱えて生きています。そんなものは、できれば胸の内から追い出したい。解消可能ならばそうしたい。せめて無視をして日々を過ごしたい。でもそれは容易ではない。
成功者とか勝ち組などと称される人たちでも、「わだかまり」とは無縁ではありません。恨みや悔しさ、恥、無力感、孤独感、世の中そのものに対する違和感などは、むしろ彼らのほうが強いかもしれない。そういったものを発条(ばね)として、自身を鼓舞し頑張ってきた人たちも結構多い気がします。
精神科医としての経験から申しますと、「わだかまり」のうちでももっとも多く、またその人の生活に強く影響を与えるのは〈罪悪感〉と〈自己嫌悪〉のような気がします。統計を取ったわけではないものの、面接の中でわたしがこれら二つの言葉を提示してみせると、実に多くの患者さんたちが強く反応する。
犯罪に手を染めたから罪悪感を覚えるというなら、まあそんなものでしょう。でも患者さんたちにとっての罪悪感は、たとえば親の期待に応えられなかったとか(親に対する罪悪感)、自分の能力や才能を十分に発揮できなかったとか(自分自身に対する罪悪感)、さまざまなチャンスを活かし切れなかった(神?に対する罪悪感)、優しさや思いやりに報えなかった(世間に対する罪悪感)、悪意はなかったけれど心ない言動をしてしまった(特定の人物に対する罪悪感)など千差万別です。そうして罪悪感に対して二次的に自己嫌悪といった感情が生まれてくることが大部分です。
黄金風景
昭和十四年に太宰治が発表した「黄金風景」という短編小説をご存知でしょうか。四百字詰めの原稿用紙で十枚にも満たない小品ですが、罪悪感について考えるとき、これはなかなか示唆に富む小説です。内容を紹介してみましょう。
主人公は「私」です。「私」イコール太宰と捉えて差し支えないと思われます。そして「私は子供のときには、余り質(たち)のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である」。ちなみに女中とは今のお手伝いさんに相当しますが、かなり身分差別的なニュアンスの強い言葉だと思ってください。だからお慶は、「私」が子どもであっても絶対に逆らえません。
真面目で一所懸命だけれども要領が悪く不器用なお慶の振る舞いは、傲慢で生意気な「私」を苛立たせます。それゆえに、「私」は彼女にわざわざ無理難題を押しつけていじめます。「……私は遂に癇癪(かんしゃく)をおこし、お慶を蹴った。たしかに肩を蹴った筈なのに、お慶は右の頬をおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は流石(さすが)にいやな気がした。そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった」。
そんな「私」は、長じて文学を志すも乱れた生活ぶりによって裕福な実家から見放されます。それでもどうにか作家として自活できそうになったところで病気になり、心身ともに疲れ果て、千葉の海岸沿いの一軒家で自炊をしながら保養することになる。かつては名家の息子であるのをいいことに思い上がり君臨した子どもであった「私」は、今や惨めな日々を送っています。
さて、そんな「私」のところへ、戸籍調べで巡査がやってきます。巡査は名前と顔を見比べているうちに、「私」の素性を言い当ててしまいます。なぜなら彼は二十年近く前に、「私」を見放した実家の近くに住んでいたからでした。それどころか巡査は、あのお慶を妻にしているという! 過去にお慶に加えた仕打ちを思い出して、「私」はうろたえます。どれほど彼女が「私」を恨んでいるだろうか、と。
巡査の妻となったお慶は三人の子どもを産み、長男は今年から地元の駅に勤めるようになった。末の娘は小学校に上がった。一家は順調に平和を獲得しつつあるようでした。まさに現在の「私」の惨めさとは対照的です。
三日後、浴衣姿の巡査とお慶、末娘の三人が「私」を訪ねてきました。懐かしさから、あらためて一家で表敬訪問してきたわけです。しかし疚しい気持ちのある「私」は取り乱してしまいます。いきなりお慶が登場するなんてまさに不意打ちでした。これから出掛けるので都合が悪いと高飛車に言い立て、彼らを追い返してしまいます。幸せそうな一家を目にして、罪悪感と気まずさ、自己嫌悪などが「私」を襲います。狼狽せずにはいられない。いたたまれぬ気分のまま、町へ逃げ出す。「ちえっちえっと舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁(ささや)く声が聞」こえる。
三十分ばかり町を闇雲に歩き回り、心を鎮めた「私」は家に戻ろうとします。すると浜辺でさきほどの一家が楽しそうに海へ石を投げっこしては会話を交わしている。その声が聞こえてきます。その箇所を引用してみましょう。
お慶が恨みを述べ立てるかと思ったら、その正反対を口にするではないですか。誇らしげに「目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」と。これはどうしたことか。かつて彼女は「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と、うめくような口調で言ったのではなかったか。
たしかに遺恨を抱きつづけるほうが自然かもしれません。でもお慶はそうしなかった。恵まれない境遇にあった彼女が、今のように安定した家庭を築き上げるには、それこそ大変な努力が必要だったに違いありません。その努力の裏付けとして恨みや憎しみを据えるのは、なるほどパワーの源泉にはなるかもしれないけれどもどこか自分の心を汚してしまいかねない態度でしょう。お慶はそれを本能的に感じ取り、ある時点で過去を改変したのではないでしょうか。それは自分を欺くこととは違うでしょう。ろくでもない過去に拘泥しても仕方がない。要領も悪く不器用な彼女なりの、切ない工夫(おそらく無意識レベルの)こそが、非道な「私」を全面的に肯定しそれによって自分自身を勇気づけるという振る舞いだったのではないのか。
その懸命な態度に「私」は打たれます。涙すら流す。「負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える」という文章で作品は締めくくられます。
ひとつの印象
ここで「私」のわだかまりは解消されました。それはお慶によって許されたからではない。彼女の必死な生き方、真摯な頑張りの前には「私」の屈託なんか意味を持たないことに気付かされたからでしょう。それどころか彼女の力強さの「お裾分け」をもらったような気持ちにすらさせられた。
罪悪感だの自己嫌悪なんて言っていられるのは、所詮は屈折した趣味のうちでしかない。そんなことなどにこだわっている余裕すら持てない人たちが世の中にはたくさんいる。一挙に心の視界が広げられた結果、「私」は心を震わせるに至った。
いささか挑発的な表現になりますが、罪悪感や自己嫌悪に苛まれる人は、それをきっかけに自身を改めようとするよりはむしろそれ自体に奇妙な親しみを覚えてしまうケースが少なくない。その是非はともかく、どうやら人間にはそうした自虐的な傾向が備わっているように思えてならない。率直なところ、それが、筆者が臨床活動を通して得たひとつの印象なのです。