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青き氷河の底へ(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第9回

 昨夜まで降り続いていた雨に、森は、しっとりと濡れていた。
 朽ち果てた木々や岩の表面は、形も色もさまざまな地衣類にみっしりと覆われていて、大気は、無数の小さな生命が囁いているような気配に満ちていた。ここ南東アラスカの一帯に広がる温帯雨林は、地球上に残る温帯雨林の約三割に相当する面積を占めている。
 黒々とした葉を茂らせている針葉樹林の間を縫うように奥へと続く、一本のトレイルを辿って歩いていく。木立の隙間のところどころに、地面と平行に広がる大きな緑の葉と、棘だらけの茎を持つ植物が目につく。「デビルス・クラブだよ」と、前を歩くガイドの男性が教えてくれた。その植物の話は、星野道夫の本で読んだことがある。太古の昔からこの地で暮らしていた先住民族の人々は、デビルス・クラブの樹皮や根を、薬として活用していたそうだ。実際、この植物には不思議な薬効があるのだという。
 米国アラスカ州の州都、ジュノーの北の郊外。僕たちは、車道の終点からこの森に分け入り、片道三時間ほどの道程を歩いて、森を抜けた先に位置する巨大な氷河、メンデンホール氷河を目指していた。一緒に歩いているのは、現地の旅行会社から派遣された三十歳前後のガイドの男性と、彼と同年代の米国人の男女。それぞれの背中のリュックには、旅行会社が用意してくれたヘルメット、ハーネス、アイゼン、そして携行食が入っている。
 森の中のトレイルは、平坦で歩きやすい。途中に何カ所か、濡れて滑りやすい岩の斜面を登ったり降りたりしなければならないところがあったが、みんな、きびきびとした身のこなしで、難なく通り抜けることができた。とはいえ、こうした森の中では、急にばったりとクマに出くわす可能性もある。僕たちは周囲に絶えず目配りしつつ、適当におしゃべりをするようにして、僕たちの歩く気配が遠くからでもクマに届きやすいようにした。クマは、人間のいる気配を察知したら、むやみには近づいてこなくなるからだ。
 しばらく歩いていくと、トレイルの脇に、小さな石塚があった。上に「Ice Limit 1942」という標識が立てられている。
「これは……?」
「1942年当時、メンデンホール氷河の先端は、この場所にあったんだよ」
 この石塚の位置からは、氷河はまだ、影も形も見えない。その後も歩き続けていくと、かつての氷河の位置を示す標識が、次から次へと現れた。1976、1980、1984、1985……。ほんのわずかな歳月のうちに、氷河が驚くほど急激に縮小してしまったという事実を、標識たちは沈黙のうちに示していた。
 やがて、視界が開け、右手にメンデンホール湖の湖面が見えてきた。そして、「Ice Limit 1996」の標識に辿り着いたところで、ようやく、メンデンホール氷河の全容が見渡せるようになった。鈍色の雲の下に連なる巨大な氷塊は、無数の襞のように見える裂け目の奥に、驚くほど濃く鮮やかな青を覗かせている。
 ここで少し休憩しよう、と、ガイドの男性は、自分のリュックからホットコーヒーの入った魔法瓶を取り出した。僕たちもそれぞれのリュックからエナジーバー、クラッカー、クリームチーズなどを取り出し、少しずつ食べた。氷河の冷気をはらんで湖面を吹きわたってくる風に、頬がピリピリと痛む。
「……こういう時に食べるなら、日本のあれがいいよね」コーヒーを注いだカップを僕に手渡しながら、ガイドの男性が言う。「ほら、ライスボールに、黒い紙みたいなシーウィードを巻いた……」
「……おにぎり?」
「そうそう。以前、日本のスキー場でバイトをしていた時、コンビニでよく買って食べてたよ。あれはうまかったなあ」
 十五分ほど休んで、みなが携行食を食べ終えたところで、リュックを背負って、再出発。氷河に近づくにつれ、圧倒的な質量でひしめきあう氷塊の威容が迫ってきて、自分たちのひよわさ、ちっぽけさを思い知らされる。流れ出る川を浅瀬を伝って渡渉し、左側に接している土の斜面から、氷河に取り付いていく。ヘルメットをかぶり、ハーネスを身につけ、靴にアイゼンを装着。おっかなびっくりで氷河の上に降り立ち、一歩々々、アイゼンの刺さり具合を確かめながら、慎重に足を運んでいく。氷の表面は、驚くほど平滑で硬く、アイゼンもわずかしか刺さらない。アイゼンがなかったら、ツルツルに滑って、一歩もまともに歩けないだろう。
 間近で目にしたメンデンホール氷河の氷は、想像していたよりもはるかに深い青を宿していた。もちろん、氷自体に色がついているわけではない。気の遠くなるほどの長い歳月を経て、膨大な圧力で圧縮された氷河の氷は、気泡がすっかり押し出され、非常に透明度の高い状態になる。透明度が増せば増すほど、外部からの光は氷の奥深くまで届くようになるが、波長の長い赤い光などは途中で吸収されやすいのに比べ、波長の短い青い光は氷に吸収されにくく、氷の内側で幾度も反射してから我々の目に届く。だから、氷河の氷はこれほどまでに青く見えるのだという。
 凍りついた波頭のようにそびえ立つ氷塊の間を歩いていくと、ある場所でガイドの男性が足を止め、足元の氷にハーケンを打ち込みはじめた。その近くには、黒々とした氷の裂け目、クレバスが口を開けている。
「そこのクレバスの奥を、覗き込んでみましょう。危ないから、ザイルをつけて」
 最初に僕の番ということになり、身体につけていたハーネスにザイルの端を固定し、もう一方の端を氷に打ち込んだハーケンに固定。一歩ずつ足元を確認しながら、クレバスに近づいていく。首にかけたカメラを構え、クレバスの奥を覗き込むと、まるで闇夜の空のように見える、底の知れない深淵が広がっていた。もし、ザイルが外れて、このクレバスに転げ落ちてしまったら……どこにも引っかからずに底の底まで滑落し、身体中の骨が砕けて二度と這い上がれないまま、氷の奥に閉じ込められてしまうのだろう。
 全員が交代でクレバスを覗き終わったところで、ハーケンとザイルを回収し、再び少し歩いて、左岸の土の斜面に出る。靴からアイゼンを外すと、少しほっとした気分になる。
 ふと周囲を見回すと、今いる場所からほど近いところで、氷河の氷と土の斜面との間に、わずかではあるが、隙間が開いている場所があった。ガイドの男性はそこまで歩いていって軽く状況を確かめると、土の斜面にしがみつきながら、するり、とその隙間の奥へと降りていった。
「……大丈夫! 危なくはないので、一人ずつ、ゆっくり降りてきてください!」
 言われるがまま、両手両足を使って、足場を確かめながら慎重に斜面を降りていく。その先には、頭上を氷河の氷に覆われた、高さ二メートル半ほどの洞窟のような空間があった。漂う冷気に、身体が震える。至るところで、ぽたぽたと滴る水滴。砂利に覆われた地面には、チョロチョロと細い水流が流れている。
 そこは文字通り、メンデンホール氷河の底だった。
 頭上をアーチ状に覆っている氷は、いったい、何メートルの厚みがあるのだろう。その分厚い氷を透かして射し込む光は、目に映るものすべてを、濃く透き通った氷河の青に染め上げていた。
 ……何だろう、この感覚は? この氷河は……生きているのか?
 ありえないことだと、わかっていた。ここには、僕たち以外、生きとし生けるものの気配は微塵もない。当たり前だが、氷河そのものに命や意志が宿っているはずもない。それなのに……途方もなく大きなクジラの腹の中に呑み込まれてしまったかのような、それでいて、畏れだけでなく、不思議な安らぎさえも感じさせるような、この場所は……。
 僕はしばらくの間、何とも説明しようのない奇妙な感覚に囚われながら、カメラを手に、青き氷河の底に茫然と佇んでいた。
 この氷河の底の洞窟も、何年か後には、すっかり融けて、消え失せてしまうのかもしれない。いつかその日が来てしまったら、新しい「Ice Limit」の標識が、この場所に立てられることになるのだろう。自らの経済活動によって引き起こされている地球温暖化に歯止めをかけることさえできない、人間の業の深さを示す印でもある、あの標識が。

【著者プロフィール】

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』『ラダック旅遊大全』(雷鳥社)、『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』『旅は旨くて、時々苦い』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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