ハウィーのこと(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第6回
旅に出て、行く先々で、大勢の人々に出会う。すべての人のことを憶えているわけではないけれど、そのうちの何人かは、時が過ぎても、姿や顔かたち、声色などを、ありありと思い浮かべることができる。
そんな風に憶えていられる相手は、人間だけに限らないのかもしれない。僕にとって、ハウィーがずっとそういう存在であるように。
米国アラスカ州の中部にある小さな町、タルキートナから、東に約20キロ。道路も何も通じていないツンドラの原野の只中に、カリブー・ロッジと呼ばれる場所がある。かつては狩猟者たちが利用する丸太小屋で、放棄されていたのを先代のオーナーが買い取って修繕し、宿泊可能なウィルダネス・ロッジとして甦らせた。写真家の星野道夫さんも、かつて、カリブー(トナカイ)の撮影のために、このロッジに滞在していたことがあるという。今は、モンタナ州出身のザックとジョーの兄弟が先代から経営を受け継いで、それぞれの家族とともに暮らしながら、ロッジを切り盛りしている。
カリブー・ロッジのそばにはかなり大きな湖があり、夏の間は、タルキートナから水上飛行機で行き来することができる。冬になると湖は氷結してしまうので、ソリを装着した小型飛行機か、湖の氷の表面が荒れている時期はヘリコプターを利用する。カリブー・ロッジの住人たちは、冬の間は主にスノーモービルで移動しているそうだ。
僕が初めてカリブーロッジを訪れたのは、三月の中旬。一日の大半が暗闇に閉ざされる真冬に比べると、日照時間はかなり長くなっていたが、それでも気温がマイナス10℃を下回るのは、まだ当たり前という時期だった。タルキートナからのヘリコプターで氷結した湖の上に降り立った時も、周囲のツンドラは見渡す限り、白く輝く雪に覆われていて、スプルース(トウヒ)の尖った梢が、ところどころにぽつぽつと黒く突き出していた。
カリブーロッジではその時、兄のザックと彼の家族は留守にしていて、弟のジョーと身重の妻のボニーが、僕を待ってくれていた。面長でひょろりと背が高く、気さくなナイスガイのジョーと、小柄でいつも朗らかなボニー。そしてロッジには、二人のほかに、ハウィーもいた。
ハウィーは、つやつやとした黒い毛並みの大きな雄犬で、ジョーによると、ラブラドール・レトリーバーとジャーマン・シェパードの雑種、ということだった。僕が最初に氷上から陸に上がって、ロッジの母屋に近づいた時、ハウィーは待ちかねたように駆けてきて、しっぽをぶんぶん振りながら、僕の足元を何度も回り、くんくんと鼻を近づけてきた。初対面の犬に、こんなにも人なつこく歓迎されたのは、生まれて初めてだった。
寝泊まりさせてもらう離れのキャビンに荷物を置き、少し休憩させてもらった後、夕方までの一、二時間、周囲を散歩してくることにした。ジョーはそばにいたハウィーに、僕と一緒に行け、と声をかけた。ハウィーはそれを理解したようで、僕が膝下まで雪に埋もれながら、カメラ片手によたよたと雪原を歩き回っている間、常に僕の十メートルほど先をぶらぶら歩き、時折立ち止まっては、僕の方をふりかえってくれていた。スノーシューなしでは雪原をまともに歩くこともできない僕を、やれやれといった表情で見守るハウィー。アラスカの原野では、彼の方が圧倒的にベテランだった。
カリブー・ロッジの宿泊客は、その時、僕一人だけだった。宿泊客用のキャビンは母屋の近くに数棟あって、少し大きな納屋の一隅が、ハウィーの居場所になっていた。
キャビンからポーチに出て風景を眺めたり、食事のために母屋に出かけたり、あるいは屋外にあるトイレに行こうとするたびに、ハウィーは、納屋からターッと嬉しそうに駆け寄ってきた。僕の行く手をさえぎるように、ぐるぐる、ぐるぐると足元を回り、どすっとのしかかって鼻面をすりよせたかと思うと、急にころんと仰向けになり、おなかをなでろと要求する。黒々とした毛並みの全身から、はちきれんばかりにパワーがあふれ出ている。どうしてこんなに元気なのだろう。
初対面の時からハウィーはずっとこんな調子で、僕の姿を見かけるたびにダッシュで駆け寄っては、自分をかまえ、遊べ、相手をしろ、とまとわりついてきた。僕という人間を特別に気に入っていたからというより、冬の間、外からの泊まり客が来ない日々が、ヒマでヒマでしょうがなかったからだと思う。雪に覆われたツンドラの原野には、吹きすさぶ風以外、動くものの気配すら、ほとんどなかったから。
翌日とその次の日、僕はスノーシューを借りて、ジョーとハウィーと一緒に、湖の周囲や、ベアーズ・ポイントと呼ばれる小高い丘のあたりを歩いて回ることにした。出かける前、ジョーは小型の拳銃を納めたホルスターを胸元に装着し、「今の時期、クマは冬眠してるけど、機嫌の悪いムース(ヘラジカ)に出くわすと面倒だからね。今まで一度も使ったことないけど」と笑った。ボニーは僕たちのために、ハムとチーズをたっぷりはさんだサンドイッチと、熱いコーヒーを詰めた魔法瓶を用意してくれた。
スノーシューを履いていても、起伏の多い雪原を歩くのは、それなりに骨が折れる。ハウィーは楽しげにあっちこっちをうろうろしながら、僕たちの少し前を進んでいた。たぶん、僕やジョーの倍以上の距離を歩いていたと思う。
ツンドラに降り積もった雪は、遠目には一様に見えても、実はさまざまな表情を持っていた。ふわりと柔らかく積もっている雪もあれば、風にあおられて薄い庇のようになっている雪もあり、強烈な風に晒されて、鋭い裂け目が幾重にも刻まれたようにガチガチに凍りついている雪もあった。軽やかなダンスのステップを踏んだかのような、キツネの足跡。一歩々々、深く彫り刻まれたかのような、ムースの足跡。リンクス(オオヤマネコ)の足跡は、周囲の柔らかい雪が風に吹き飛ばされ、踏み締められた部分だけが浮き彫りのように残されていた。
チュッ、チュッ、と小鳥の鳴き声が聞こえてきた時は、少し驚いた。背の高さほどの灌木の梢に、額に赤い斑点のあるレッド・ポル(ベニヒワ)が何羽か留まっていて、気まぐれに木の芽をつついていた。あの小さな身体のどこに、アラスカの極寒の冬を耐え抜く力が宿っているのだろう。
ベアーズ・ポイントの頂上の少し手前では、ライチョウの群れに遭遇した。冬になって褐色から純白に生え変わった羽毛に身を包んだライチョウたちは、僕たちの姿に驚いて逃げるでもなく、岩場の上でおもちのようにちょこんと座ったまま、こちらを見ていた。
「ハウィー、動くな。静かにしてろ」
ジョーのその短い指示を、ハウィーは、やはりちゃんと理解していた。僕が望遠レンズを装着したカメラを取り出し、低く身を屈めながらライチョウたちの写真を撮っている間、ハウィーはジョーのかたわらで身を伏せ、ただの一声も発することなく、じっと待ち続けてくれた。
翌年の夏の終わり、僕は再びカリブー・ロッジを訪れた。今度は一人ではなく、妻と一緒だった。
水上飛行機が湖に着水し、桟橋に着いてから、岸辺に降り立つと、ハウィーがターッと駆け寄ってきて、あいかわらずの調子のよさで、僕たちを歓迎してくれた。初対面の妻に対してもまったく人見知りをせず、最初からパワー全開で、遊べ、かまってくれ、おなかをなでろと、矢継ぎ早に要求してくる。同じ時期に滞在していたほかの宿泊客たちに対しても、まったく同じ。
ハウィーは本当に、ホスピタリティの権化というか、筋金入りの博愛主義者だった。根っからの犬嫌いでもないかぎり、ハウィーを好きにならない人など、誰一人いなかったと思う。
ひさしぶりに会ったハウィーの黒い毛並みの身体には、ところどころに、引っかき傷のような跡が目立った。ジョーによると、彼は毎年、初夏の時期にツンドラで大量発生する蚊の襲来に悩まされているのだという。そのせいばかりでもなかったかもしれないが、前の年に初めて会った時に比べると、ハウィーはほんの少し、元気がないようにも見えた。
その夏の旅から、三年ほど経った、ある春の日の午後。
「ハウィーが……」消え入りそうな声で、妻が言った。「虹の橋を、渡っちゃったって……」
妻がスマートフォンで見せてくれた、カリブー・ロッジのフェイスブックページの投稿には、湖畔に座るハウィーの姿の写真とともに、彼がこの世を去ったことが記されていた。ハウィーが、本当にたくさんの人々に愛されていたこと。ハウィーに会うためだけに、カリブー・ロッジを再訪する人すらいたこと。
僕も妻も、そうだった。またハウィーに会いにアラスカに行きたいね、と、ことあるごとに話していた。
彼ら小さき者たちの時間の流れは、人間よりも数倍早い。それはわかっているのだけれど、いざ別離の時が来てしまうと、やはり、ずしりと堪える。
いつかまた、会えると思ってたんだけどな、ハウィー。君とまた一緒に、アラスカの原野を、気の向くままに歩いてみたかった。