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国境の土産物屋(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第11回

「今まで旅した中で、一番好きな国は?」
 旅好きの人同士が知り合った時、よく出てくる質問だ。
 この質問をされると、僕は正直、かなり迷う。訪れた回数だけならインドが群を抜いて多いが、そのほとんどは、北部のチベット文化圏ラダックでの取材が目的だった。それ以外の多様な地域を含む国全体としてのインドが一番かと訊かれると、ほかにも推したい国は、いくつか思い浮かぶ。
 それらの国々の中でも、メキシコは、かなり上位に食い込むと思う。太平洋岸ののどかな港町、密林に埋もれたマヤの遺跡、淡く透き通る青を湛えたカリブ海、タコスやトルタといった辛旨なメキシコ料理……理由はいくらでも挙げられるけれど、僕の場合、最初に訪れた街とそこで出会った人々が、メキシコをずっと忘れられない存在にしている。

 メキシコの北西端の国境に位置する街、ティファナ。北に接するカリフォルニアと同じ、あっけらかんと晴れた空と、乾いた空気。
 当時、メキシコから中米のコスタリカまで、三カ月ほどかけて旅する計画を立てていた僕は、ロサンゼルスからグレイハウンド・バスに乗って、旅の出発点となるこの街に来た。それまでティファナという街には、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』で、探偵フィリップ・マーロウが謎めいた友人テリー・レノックスを車に乗せて逃がした先の街……というくらいの、ぼんやりしたイメージしかなかった。
 国境を越えたとたん、英語が通じる確率が急に下がったことに面食らいながらも、僕はダウンタウンのレボルシオン通り沿いで、どうにか宿を見つけた。細い階段を上がって二階にある宿の部屋は、値段相応のそっけないしつらえだったが、清潔なシャワールームとトイレ、ブラウン管のテレビもあって、悪くない居心地。同じ建物の一階には、ソンブレロやテキーラのボトル、ギター、サボテンを形どったグッズなど、国境を越えて遊びに来るアメリカ人観光客が喜びそうな商品を山と揃えた土産物屋があった。
 その日の夕方、どこかで晩飯を食べようと階下に降りていくと、「おい! ちょっと待て!」と呼び止められた。土産物屋にいた店員や客引き、その知り合いらしき男たちが五人。通りを挟んで向かいの店からも、三人ほどやってきた。その全員が、ぐるりと僕を取り囲んだ。
「どこから来た?」「中国人? 韓国人? ああ、日本人か!」「一人か? 連れはいないのか?」「この街で何をしてる?」「いつまでいる気だ?」
 男たちはめいめい好き勝手に、次から次へと、僕に質問を浴びせる。敵意も悪意も特にないように見えるけれど、しかし何で僕は、こんなに大勢に取り囲まれてるんだ?
 雨あられの質問の合間を縫って、彼らの名前を一人ずつ訊いてみる。一人だけ面識があったのは、前の日に店の前で少し立ち話をした、丸顔で人のよさげな話しぶりのタイソン。店の客引きのヴィランは、背が高くて陽気な男だが、話の持って行き方がかなり強引。色白で金髪のミゲルは、もうすぐ日本語の勉強を始めるという。無口でずっとニコニコ笑っているトッポ。野球帽をかぶったロビトは、何食わぬ顔で人の話に割り込んでくる。店を仕切るフランチーニ、マヨ、アイダの三人は、少し引いた位置で話の輪に加わっている。
 そうこうするうち、これが俺の本音だと言わんばかりに、ヴィランが口を切る。
「通りの向こうのあの酒場で、もうすぐストリップショーが始まるんだ。一緒に見に行こうぜ!」
 ほかの男たちも「行こう行こう!」とわいわいはしゃぐ。が、その時の僕は、そんなショーを見に行く興味も予算も、まったくなかった。嫌だ嫌だ、と拒否していると、タイソンが僕にこう提案した。
「じゃさ、バーガー・キングで、俺たちに一杯ずつ、コーヒーをおごってくれよ!」
 それはそれで、何で自分が……と思わないでもない提案だったが、見たくもないストリップショーの酒場に引きずられていくよりはましだと思い直して、「いいよ、行こう」と請け合った。男たちは囲みを解いて、土産物屋のすぐ近くにあるバーガー・キングに、僕を連れてぞろぞろと移動した。自分のを含めて、九杯のホットコーヒーをレジで注文。カップをめいめい手に取った男たちは、テーブルを二つ占拠して、満足げにコーヒーをすすりながら、あそこの店のねーちゃんはどうたらこうたら、と、どうでもいいおしゃべりを続けていた。
 見ず知らずの男たちに、一人一杯ずつ、コーヒーをおごる。ただそれだけのことだったのだが、なぜかその日以降、彼らは僕を、仲間として扱ってくれるようになった。

 当初はほんの一、二泊で離れるつもりだったティファナに、僕は一日、また一日と、ずるずる居座り続けた。特に何か目的があったわけでも、何かをしていたわけでもなかったのだが。
 朝起きて、近所に何軒もあるファストフードの店のどれかでモーニングセットを食べ、街を歩く。国境付近のゲートを見物しに行ったり、酒場やレストラン、土産物屋がずらりと並ぶレボルシオン通りをぶらついたり、スーパーマーケットの棚にひしめく品物を眺めたり。おひるはたいてい、スーパーでバナナとコーラと水を買って、公園のベンチで本を読みながら食べた。
 土産物屋の男たちは、ちょこちょこ顔ぶれが入れ替わってはいるものの、いつもたいてい何人かいて、僕が通りがかるたび、「よう、こっち来な!」と声をかけてきた。
「お前、毎日々々、同じシャツ、同じジーンズ、同じ靴だよな。ユニフォームか何かか? 遠目でも一発でわかるぞ」
 タイソンに背の低い椅子に並んで座らされ、どうでもいいことでイジられる。「ほっとけ。これでも一応、部屋で洗濯してるんだよ」と僕。
 するとヴィランが、店の売り物の大きなソンブレロを、背後から僕の頭にひょいと載せる。
「よーし、お前のカメラ貸せ! みんなで写真撮ろうぜ!」
「イェーイ!」
 土産物屋では毎日ずっとこんな調子で、日によっては、僕もにぎやかしのサクラ役として、客のふりをして店先に居続けたりもした。
 夕方、宿の部屋に一人でいると、誰かしらがドアを叩いて、「酒場に行って、ワールド・シリーズ見ようぜ!」と呼びに来た。その頃、ワールド・シリーズはフロリダ・マーリンズとクリーブランド・インディアンズが激闘を繰り広げていて、ティファナ界隈でも、毎夜盛り上がっていたのだ。
 彼らは、地元のメキシコ人御用達の酒場に僕を連れて行った。入店前の入念なボディチェックに面食らったが、観光客向けの店とは桁違いにハイテンションなにぎわいの店内に入ってみて、納得する。こんなところで酔っ払い同士の喧嘩が起こって、誰かが武器を持ってたりしたら、大変だ。店の隅のテーブルを囲んで座って、ビールを注文。
「明日、出発するんだっけ?」
「うん。バスで半島を下って、ラパスに行く」
「すべての道は、ラパスに通ず、か。遠いよな」
「二十四時間くらいかかるらしいんだよね……」
「行くなよ、ずっとここにいろよ」
 確かに、出発するのが少し億劫になっている自分がいた。この街で、何もしていないのに、毎日がただ楽しい。旅は、まだ始まったばかりなのに。
 天井近くのテレビを見つめていた酔客たちが、大きな歓声と、深いため息の二手に分かれた。同点のまま延長に突入していたワールド・シリーズ第七戦は、サヨナラタイムリーヒットで、マーリンズが優勝した。

 ティファナを出発する朝。荷物をまとめて宿をチェックアウトし、階下に降りると、土産物屋では、ちょうど開店の準備が始まったところだった。
 タイソンが通りの向こうからやってきて、ニッと笑う。
「お前、一週間くらいいたのか?」
「五日かな、結局」
 ヴィランも来て、大仰に両手を広げながら言う。
「おー、タカキ。行くな、ずっとティファナにいろ。ここはお前のホームだ。俺たちゃ、ファミリーだろ?」
 ミゲルは店に来るなり、真剣なまなざしで僕に訴えかける。
「ラパスに行くなら、僕をガイドとして連れて行ってくれないか? 僕はラパスをよく知ってる」
「だめだよ、ミゲル。さすがにそれはできない」
 ふと気づくと、この時間に店に来る必要のない連中まで、僕を見送りに集まってきてくれていた。
 店のシャッターが引き上げられ、営業時間が始まろうとしていた。ヴィランは急に何を思ったか、女性の買い物客向けに店で配っている小さな花を二輪、僕のシャツの胸元に、洒落っ気たっぷりに挿してくれた。
「こっちの花がタイソンで、こっちが俺だ。ハハハ!」
 これ以上、ここに居たら、本当に泣いてしまいそうだ。
「バイバイ! アディオス!」
 荷物を背にゆっくり歩き出した僕は、そう叫んで身を翻すと、信号が点滅している横断歩道を、全速力で走って渡った。自分でもよくわからないけれど、そうしないではいられなかった。

【著者プロフィール】

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』『ラダック旅遊大全』(雷鳥社)、『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』『旅は旨くて、時々苦い』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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