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あの日のエスプレッソ(著述家・編集者・写真家:山本高樹) #流離人のノート 第3回

 ハンガリーの首都ブダペストの郊外にある、ハンガロリンク・サーキット。オートバイのロードレース世界選手権の予選は、125ccクラス、250ccクラス、500ccクラスが終了し、残るはサイドカークラスのみとなっていた。
 緑豊かな丘陵に囲まれた中に造られたこのサーキットは、ストレートが短くてコーナーの数が多い、テクニカルなコースとして知られている。僕たちは、最終コーナーの手前にある丘で、草の上に脚を投げ出して座っていた。さっき売店で買って飲んだビールの余韻が、まだ少し身体の中に残っている。
 決勝は明日ということもあって、メインスタンドに人の姿はあまり見えない。遠くの山裾に、集落の赤茶色の屋根が、点々と浮かぶように並んでいる。
 シフト・ダウンの音が響く。二人のライダーを乗せた一台のサイドカーが目の前を過ぎ、最終コーナーに向けて再び加速していく。
「綺麗なコースだなあ……」
 そう僕がつぶやくと、草の上に寝転んでいたN君が、肘をついて半身を起こしながら言った。
「だよね? 俺も、今までヨーロッパであちこちのサーキットを見てきたけど、このハンガロリンクが、一番綺麗なんじゃないかと思うよ」
 N君は、オートバイのレース、特にロードレース世界選手権の熱烈なファンだった。この年、彼は春から夏にかけて日本を離れ、ヨーロッパでのロードレース世界選手権の開催地を追いかけながら、ずっと旅を続けていた。ハンガロリンクでの予選を見に行こうと僕を誘ってくれたのは、N君だった。僕自身は、深夜にテレビで放送されていたレースの様子を何度か見たことがあるくらいで、二輪や四輪の運転免許すら持っていない、ど素人だったのだが。
 最初にN君と知り合ったのは、オーストリアの首都ウィーンにあるハンガリー大使館に、ハンガリーのヴィザを取りに行った時のことだった。その頃の彼は、石器時代からタイムスリップしてきたかのように、ひげがぼうぼうに伸びた年齢不詳の風体だったのだが、話をするうちに、実はほぼ同年代だとわかった。彼のひげはブダペストに着いてから、僕が貸したカミソリでさっぱり剃り上げられて、今は日焼けして頬のこけた顔があらわになっている。
 N君と僕は、初めて会った時から妙に気が合った。ウィーンのハンガリー大使館を出た後も、公園の芝生に座って何時間も話し込んでしまったし、ウィーンからブダペストまで列車で移動した時は、二人ともあまりにしゃべり続けるので、同じコンパートメントにいた欧米人女性のバックパッカーたちから「お願いだから……もう少し……静かに話して……」とたしなめられてしまったほどだった。
 また一台、サイドカーのエンジン音が近づいてきた。レース仕様のサイドカーは、普通のオートバイとはおよそかけ離れた姿をしている。パキッとした原色に彩られた左右非対称のカウルは低く平べったく、二人のライダーはコーナーにさしかかるたび、右に左に、路面に身を投げ出すようにして重心を移動させる。
 コーナーの手前で、甲高い破裂音を響かせながら、シフト・ダウン、ブレーキ。突然、ズルッ、と後輪が滑る。車体が縁石をかすめ、火花が飛び散る。
「うわ!」「やば!」
 そのサイドカーは辛うじてバランスを立て直すと、再び甲高い破裂音を轟かせ、最終コーナーへと加速していった。
「あれはきわどかった……無茶するなあ……」
「すげえ……」
 風に乗って、摩擦で焼けたタイヤのゴムの臭いが漂ってくる。
「カメラがあったらなあ……」と、N君はぼやいた。

 当時の僕もそうだったが、N君も、物価の高いヨーロッパでの旅費を節約するため、街から街への移動には、夜行列車を多用していた。
 少し前に、イタリアのトスカーナ州にあるムジェロ・サーキットでのレースがあった時も、N君は夜行列車で目的地に移動していた。くたびれきった状態で車内で一夜を過ごし、明け方、そろそろ駅に着くかという頃、前の日に車内で知り合って少し仲良くなっていた、イタリア人の中年の男がやってきた。「眠気覚ましに、エスプレッソはどうだ?」という意味の素振りを見せながら、男は魔法瓶のふたに注いだエスプレッソを、N君にすすめた。
 ありがとう、とN君は何の気なしにそれを受け取って、口にした。あれ? ちょっと苦いというか、変な味だな……本場イタリアのエスプレッソって、こういう味なのか……? という考えが、一瞬、頭をよぎったという。その直後、N君は完全に気を失ってしまった。
 意識が戻った時、N君は、自分がなぜこの列車に乗っているのかもわからないほど、朦朧とした状態だったという。ズボンの左右のポケットはナイフで切り裂かれ、貴重品を入れていた小型のバッグは、影も形もなくなっていた。大きな荷物は駅に預けてあったし、パスポートも無事だったが、バッグに入れていたクレジットカードの類と、彼の旅に欠かせない道具であったカメラは、根こそぎ持っていかれてしまっていた。
 偶然知り合って仲良くなったふりをして、睡眠薬を混ぜたコーヒーやジュースを飲ませて気を失わせ、その隙に金品を奪い取る、睡眠薬強盗。その犯行事例は、当時もイタリアやトルコなどヨーロッパ各地で報告されていて、バックパッカーの間で噂になっていた。N君は運悪く、そうした強盗の標的にされてしまったのだった。
 旅先でそこまで酷い目に遭ってしまったら、その後の予定を切り上げて帰国するのが、普通の選択なのかもしれない。でもN君は、盗られたバッグや切り裂かれたズボンの代用品を手に入れて態勢を立て直し、最後まで旅を続けることを選んだ。それは、ロードレース世界選手権に対する彼の情熱だけが理由ではなかったのかもしれない。

「……どうする?」
 ふいにN君が言った。
「日本に戻ったら、その後、どうするの?」
 一瞬、彼の言葉の意味がわからなかった。
「日本に戻ったら? ……うーん……考えてなかった」
「ほんとに?」
「今回の旅費を貯める時にバイトしてた会社があるから、そこが受け入れてくれるなら、またバイト要員として戻るかもしれないけど……」
「大学は?」
「……正直、どっちでもいい。戻っても、戻らなくても」
 答えれば答えるほど、何もないからっぽな自分を見透かされてしまう気がした。両手を頭の後ろで組み、あおむけに草の上に寝転ぶ。空が見える。薄いようでいて、どこまでも透き通るような青。
「……まあ、ちょっと長い旅をしたからって、何が変わるってわけでもないよな」
 少し投げやりな調子で、自分自身に言い聞かせるように、N君は呟いた。
 視界の外で、何台かのサイドカーが、立て続けにコーナーを走り抜けていく音が聞こえる。
「ドイツを旅していた頃にね」再びN君が口を開いた。「コブレンツという街に行こうとして、船に乗ったんだ。知ってる? ライン川クルーズの」
「乗ったことはないけど、話に聞いたことはあるよ」
「その時、船で知り合いになった、ドイツ人のおばさんがいたんだ。とにかく、嘘みたいに人のいいおばさんでさ。何も頼んでいないのに、あれこれ親切に世話を焼いてくれるんだよ。ライン川クルーズの日本語パンフレットをわざわざ探して持ってきてくれたりとか。何でだったのかな。おふくろと同い年くらいだったし、あの人、俺のことを息子か何かみたいに思ってくれてたのかもしれない」
 少し間を空けて、N君は話を続けた。
「コブレンツに着いた時、俺だけ降りて、おばさんは元の街に引き返すために、船に残ったんだ。で、おばさんが甲板に立ったままこっちを見てたから、桟橋から、おーい、って手を振ったんだ。そしたら、おばさんも手を振り出したんだけど……ずーっと、振るのをやめないだよ。何か、こっちも振るのをやめられなくなっちゃってさ。そのうち船が出発して、どんどん離れていくのに、おばさんはずーっと手を振ってて……。船が白い点みたいになって、見えなくなるまで」
 僕は、何と言っていいのかわからないまま、黙っていた。寝転んでいる頭の横で、草の葉先が、かすかに風に揺れている。
「その時、ああ、俺も、あのおばさんみたいに、やっていけたらなあ、と思ったんだ。……自分でも、何を言いたいのか、よくわからないけど」
 また一台、サイドカーが、甲高い破裂音を響かせながら、走り去っていった。僕は草の上で起き上がって、両膝を軽く抱え込んだ。
 N君が言った。
「俺、前にイタリアで一服盛られちゃったって話、しただろ?」
「……夜行列車で飲まされた、エスプレッソの?」
「そう。もし……もし、もう一度、あの時と同じような状況で、同じようにエスプレッソを飲めとすすめられたら……」
 彼は少し言葉を切った。
「……やっぱり、俺、また飲むと思うんだよ」
「そうなんだ」
「そりゃまあ、露骨に怪しいのは別だけどね。俺もいろいろ学んだし」
 そう言って、N君は自分を茶化すように、ケラケラと笑った。
 サイドカークラスの予選が終わった後も、僕たちはしばらくの間、丘の上からサーキットを眺めていた。夕刻前の傾いた日射しが、最終コーナーのアスファルトに眩しく照り返していた。
 今から三十年以上も前の、ある夏の日のことだ。

 旅に出て、誰かを信じて、裏切られて。嘘をつかれ、奪われ、傷つけられて。二度とそんな目に遭いたくなくて、身構え、疑い、撥ねつけていって……。ある意味、それが「旅慣れる」ということなのかもしれない。
 僕自身も、程度の差こそあれ、いつのまにか、旅先では常にそんな風に身構えるようになっていた。
 でも、その後も旅を重ねていく中で、誰かを疑って身構えるたびに、胸の内側で何かが小さくひび割れて剥落していくような感覚も、僕は同時に感じていた。その剥落の感覚が胸の奥にあることを、忘れてしまいたくない、とも思っていた。
 時と場合にもよるけれど、旅の中では、誰かを信じることを、あきらめないでいたい。甘っちょろいのは百も承知だ。でも僕は、あの時のN君の側に立っていたい。それはたぶん、旅に限ったことではないのだと思う。

【著者プロフィール】

山本高樹(やまもと・たかき)
著述家・編集者・写真家。2007年から約1年半の間、インド北部の山岳地帯、ラダックとザンスカールに長期滞在して取材を敢行。以来、この地域での取材をライフワークとしながら、世界各地を取材で飛び回る日々を送っている。主な著書に『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々[新装版]』(雷鳥社)『ラダック ザンスカール スピティ 北インドのリトル・チベット[増補改訂版]』(地球の歩き方)『インドの奥のヒマラヤへ ラダックを旅した十年間』『旅は旨くて、時々苦い』(産業編集センター)など。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』(雷鳥社)で第6回「斎藤茂太賞」を受賞。

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