第24回ブリーフセラピーにできること ~むすびにかえて~(吉田克彦:合同会社ぜんと代表) 連載:家族療法家の臨床ノート―事例で学ぶブリーフセラピー
一年間にわたり書かせていただいたこの連載も今回が最終回となります。
この連載の企画が始まったのは2020年の春。まだ新型コロナウイルスがクルーズ船の中で発見されたころで、新型コロナのニュースは別世界の話のように感じられていたころでした。それから3年が経ち、企画を準備していた当時には想像もしていなかった、コロナ対策が当たり前の世の中になりました。
そこで、今回は個別の事例ではなく、社会問題についてダブルバインドの視点からとらえ、ブリーフセラピーの果たす役割を考えます。
情報化によるダブルバインド
「1日に接する情報量は、平安時代の人々の一生分、江戸時代の人々の一年分」という話を耳にすることがあります。昭和生まれの私には、平安時代の一生分や、江戸時代の一年分の情報量が実感できません。しかし、常にスマホを持ち歩き時間があれば何かを検索したり、SNSでさまざまな人の発信を見る自分を振り返ると、どんどん目にする情報量が増えていることは実感します。ウクライナの戦況やトルコ大地震の被害状況をリアルタイムで知ったり、どんな商品であってもお店を訪問せずに料金を比較できたりするのは、たしかに平安時代や江戸時代どころか昭和でも、あり得なかったでしょう。
情報量が増えて、自分の知らなかった事象を知ることができることは、肯定的な側面ばかりではありません。私は、情報が増えたことによってダブルバインド状況が増えていると考えます。ここでは、私が実際にダブルバインド状態だと感じた場面を、3つ紹介します。
以上は、私が実際に目の当たりにしたエピソードを元にしています。似たような状況は皆さんも経験されたことがあるでしょう。これらは報道やSNSなどが幅広く増え、幅広い意見に触れることができるために生じるダブルバインドと私は考えています。
ブリーフセラピーらしい解決を目指して
【子育て場面での例】の際に自殺者数の話をしましたが、ダブルバインドを断ち切るための(と思われる)自死は、以前からありました。ニュースなどの間接的な情報による、あくまで私の主観的な見立てですが、例えば次のような状況です。
いじめ対策とソリューション・バンク
以下に示すのは、【典型的ないじめ自殺の構造】の一例です。
このような悲劇に、ブリーフセラピーでは何ができるでしょうか。代表的な介入の一つとして、「いじめソリューション・バンク」という取り組みがあります。これは、いじめ解決事例をデータバンクに集めて、発信する。それによって、解決の連鎖を作り出そうという取り組みです(詳しくは、長谷川,2005)。問題点に注目するのではなく、解決に注目し発信する取り組みは、いじめに限らず様々な場面でとても有効です。
不登校対策のダブルバインドに挑む
私自身の取り組みとしては、不登校対策について考えています。具体的なものの1つとしては、「不登校なんでも相談室」という、不登校で悩む家族に向けてのポータルサイトを作りました。ここには、ソリューション・バンクのように不登校で悩む家族に解決を集めて提供していきたいと考えています。もちろん、その解決は「再登校・学校復帰」だけではなく、さまざまなゴールがあるでしょう。いろいろな情報を提供することで、選択肢を増やすことが目的です。
例えば、学校という選択肢しかなければ、「学校に行くか・行かないか」というジレンマが生じますが、「Bに行くか、行かないか」「Cに行くか、行かないか」「Dに、Eに、Fに…」「どこにもいかないで、○○をするか」と選択肢が増えれば、ダブルバインドに陥ることはほとんどなくなると考えています。
解決策の1つ目は、不登校を取り巻く拘束(バインド)に関して積極的に言及することです。第5回で紹介したように「言及できないこと」がダブルバインドの構成要件なので、ダブルバインド状況に言及することでダブルバインドの成立を阻むねらいです。
その上で、解決案の2つ目しては、第22回、第23回で紹介した事例にも登場する、「G・T・N」をメタ・キーワードとして、下位のオプションを増やすことでダブルバインドを解決できればと考えています。
もちろん、「そんなことをしても、ただ情報を増やしているだけなら、同じではないか」という指摘もあるでしょう。それは充分に承知の上です。別にすべての不登校を解決しようと考えているわけではありません。この取り組みで、「すこしは楽になった」というご家族が1組でもいれば、それでよいのです。問題だけを見て嘆き続けることや理想郷を求めるだけでは、何の解決もしません。例えば、「現代社会は情報量が多すぎるから情報量を減らして、平安時代や江戸時代のような生活をしよう」と提案したところで現実的ではないでしょう。問題を止めるのではなく、ブリーフセラピーらしく問題の文脈に乗って解決を創ることが重要だと考えています。
問題は必ず起きます。そして新たな解決も必ずあります。冒頭のリンカーンの言葉ではありませんが、つまずかない世の中を目指すのではなく、「転んでは立ち上がる」その経験を繰り返すことなのだと思います。
ブリーフセラピーは人間だからこそできる
最近の人工知能(AI)の発達は目覚ましいものがあります。例えば、ChatGPTという、チャットをするかのようにAIと会話をできるものがあります。会話の内容も日本語であってもかなり自然で、辞書的に質問に答えるだけでなく新しいプログラムを組むことも、既存のプログラムの脆弱性を指摘することもできるそうです。私も実際に触ってみましたが本当に自然なやり取りができて驚きました。
メンタルヘルスの分野でもAIがすでに活用されています。AIとチャットで相談をすることができたり、実際に悩みを抱える人が、カウンセラーではなく、AIに対応策を聞くことも多くなるはずです。心理教育や心理検査は将来的に人間がAIの力を借りることも増えてくるでしょう。
また、バーチャルリアリティ(VR)を利用したカウンセリングやトレーニングがとくに認知行動療法の分野で活発に行われているようです。確かにいつでもどこでも気軽にAIへの悩み相談や、VRを使った系統的脱感作は私自身も機会があれば利用してみたいと考えています。
しかし、ブリーフセラピーだけに限れば、AIが人間のようにブリーフセラピーを上手に実践することは難しいと考えます。人間は非言語コミュニケーションを複雑に使っており、積み重なったそれまでの経緯(文脈)とその場でさまざまなチャンネルから交換されるメッセージを使いこなせるのは、しばらくは人間だけでしょう。
第2回で紹介した、「カラス進入禁止」の貼り紙などのアイディアなどは、ブリーフセラピーを知らなくても提案できますが、人間だからこそできることでしょう。そのような意味で、ブリーフセラピーは誰にでもできて、私たち人間にしかできないでしょう。
前回、メールでのブリーフセラピー事例を紹介しました。メールであっても、関係性や文脈の利用を会得しない限りAIが”ブリーフセラピーを実践すること”は難しいでしょう。おそらく、AIが“ブリーフセラピーっぽい”答えを出した時点で、その答えが新たな悪循環となり、問題を生み出し、その問題を人間が解決する繰り返しでしょう。
さいごに
1年間書いてきましたが、最後までとりとめのない文章になってしまいました。拙い文章を読んでいただき本当にありがとうございます。
これを読まれた方の中で少しでもブリーフセラピーに興味をもってもらえたり、「あぁ、そうか。以前、理由もわからず問題が改善したことがあったけれど、あれはブリーフセラピー的にみると、理にかなっていたのか」などと考えていただくきっかけになれば、とてもうれしいです。
連載を執筆するにあたり事例の掲載について快諾していただいた皆さん、そして遅筆な私を温かく支えて頂いた金子書房のスタッフの方々、そして最後まで読んでいただいた読者の皆様に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
【文献】
長谷川啓三.(2005).ソリューション・バンク:ブリーフセラピーの哲学と新展開.金子書房.